清山会グループからのご案内

震災復興メール

2011.04.14

水島蘭

震災から1ヶ月.未だ余震も続く中、職員も、利用者もまだまだ不安の中での生活であると思います。それでも、ここ(清山会グループ)は、日常を少しずつ取り戻してきていますが、連日のテレビ放送や、今も避難生活を続ける方々、徐々に知らされる親戚や友達の訃報を聞くと、今もまだ涙が流れる日も多くあります。私の自宅はほとんど被害がなかったため、休みの日なんかは、あの地震すら夢だったのか?と思わせられるほどのんびりとした日も増えてきました。けれど、忘れちゃならない現実を、希望の杜へ出勤するたび、毎日増えていく点滴の数を見、入れ替わり病院に行かれる利用者さん。歩かれていた人が歩けない。何でも食べていたのに(本当に何でも・・・。)自分でもう食べられない・・。あの地震から避難的生活を送る利用者さんの、ストレス限界な毎日を目の当たりにするたびに、今回の事を、深く痛感する毎日です。さて、前置きは長くなりましたが、「元気が出るメール」と聞いて、私自身や、職員がこのライフラインが全く途絶え、暖も取れず、食事もままならず、全員が利用者さんと一緒に毛布にくるまって過ごしていた1か月前の職員の武勇伝?と、みんながその時に元気になったと言ってくれた事を今回紹介したいと思います。元気になったことは「ノリの付いたおにぎりが夜食にでたこと。」「いつもは口周りを気にして食べるのを控えていたのり塩のポテチがこんなにおいしい!!って感動した。」職員が自宅から持ってきた「焼肉のタレ」匂いをかいだり、ご飯にかけて食べるのがごちそうだった!!賞味期限が切れているなんて関係ない。菓子パンの甘さが嬉しかった。みんながマスクしてマフラーして帽子をかぶって仕事していた。いつもおしゃれなリハ科も総務も毎日スッピン。職員も利用者さんも雪だるまみたいな恰好で・・。オムツ交換するたび1枚脱いで、脱いでも脱いでも1人平均の上着は6枚!!シャワーがでたと喜んで、みんなで浴びた日は、軽くストリップショーだった。髪の毛いっぱい抜けちゃって、何回シャンプーしたかって大騒ぎしたね。電気がついた時は万歳して喜んで、水がでた~って皆で一斉にトイレに駆け込んで、夜中水漏れしていて大変だった・・。 「当り前の生活を当たり前にできるように。」そう利用者さんの生活を関わりを仕事にしてきた私達が、きっと初めて心から「当り前」を身を持って体験したと思う。あれが食べたいとか、どこに行きたいとかわがままが言えるって事が、どんなに恵まれた環境に居るから言えることだってことが初めて分かった気がする。 地震の翌日。これからどうしたらいいのか、目の前の現実をまだ夢であってほしいと私も誰もが思っていた初日から、笛を吹いて利用者さんを笑わせて、最後のチャルメラの下りを「それはいらない。」と突っ込まれていた椿さん。車のガソリンは切れていても、心のガソリンは切らしちゃダメだからって、少ない食事や、お菓子を取っててくれて、一緒に晩酌してくれた上村さん。風邪か花粉か埃か分からなく咳が止まらない自分に「大丈夫?無理しないでね。」って唯一女の子として言葉をかけてくれた浜松さん。みんながパニックになっている時に、すぐに役場へ走ってくれて、毛布とおにぎりを調達してくれ、指揮をとってくれた卓実君。(今は職員の体力作りにとボクササイズを休憩中行ってます)2回目の地震では、大好きなビールを置いてでも、誰よりも早く駆け付けてくれて、職員の心の支えになってくれた庄司君。家族が心配でも口にせず、いつものペースを守って安心感のあった西城君。職員の体調や疲れをねぎらって、休みや休憩時間を考えてくれていた熊耳さん。徐々に疲れがたまる中、夜中に起きれなくなる職員が増えても必ず起きて、利用者さんを見てくれていた狩野さん。引っ越しや退職を延期し「絶対に忘れられない。」希望の杜での最後を懸命に関わった春恵ちゃん。愛犬に会えず、みんなが自宅へ帰っても帰れない日の続く中、心くじけず踏ん張った筋野さん。役職者を支え、みんなのストレスも中和し、大好きなバナナも食べれず、日に日に痩せながら、それでも「大丈夫っす!!」って男を見せてくれていた小川君。私のモチベーションは変わりません!!まだ頑張れます!!と頼もしい今月からのR芳賀沼さん。ガソリンのない私を1日帰れる日を削ってまで、遠回りし実家へ送ってくれた千坂君。おかげで私は叔父さんに最期の挨拶ができました。いっぱい支えてもらって私は元気にしてもらえて、この地震からずっと涙腺が緩みっぱなしです。 津波から危機一髪逃れ、目の前で助けられない命が消えるのを見てきた友達が「絶対にみにきた方がいい。これは生きた者の義務だよ。知るべきだよ。知って感じてほしい。」と言われて、石巻、松島に行きました。毎年行っていた海水浴場は、見る影もなく、言葉にすることはできません。けれどここで私はまた元気というか決心できた気がしました「私はまだ全然大丈夫。まだまだ頑張れる!!私が今やらなければならないことは、まずは希望の杜の利用者さんをいち早くフロアに帰してあげること!!」と・・。 大分に住む友達が毎日つながらなかった私の携帯にメールや留守電を残してくれていた。 沖縄に住む友達が一生懸命募金箱を探して募金してくれた。 神奈川に住む友達が6月に予定していた旅行費用を全額募金してくれていた。 いまも福島原発で働く友達や海に潜る後輩もいる。同業者の友達も他の施設に避難のために移って頑張っている。 CMの言葉たちを借りるなら「1人じゃない。みんながいるから頑張れる。日本が1つのチーム」と私自身も強く思っています。どこも、どんな状態であっても被災した事に変わりはないのかもしれないけれど、今、笑える余裕の出てきた、私達が今、自分にできる事を見つけて、今は意識しなければできない「当り前の生活」が、いつかまた無意識の「当り前」に戻る事ができるように、けれど、今回の事は忘れず、受けた温かさに感謝して、新年度頑張っていきたいと思います。 気仙沼の漁師さんがテレビで言っていました。「津波は全部持っていってしまった・・。でも、笑顔だけは持っていかなかった」と・・。来週には新しい希望の杜が生まれます!!まだまだ希望の杜はこれからが本番です!いっぱいの元気をもらえた分、今度は私がみんなに元気を伝染できる様に頑張ります!!
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