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震災復興メール

2011.04.19

佐藤政博

あの悪夢のような地震から1カ月以上経ち私達の生活もほぼ以前の状況に戻りつつあります。テレビでも通常の番組が増え始め、地震関連のニュースも芸能人の炊き出しのニュースにシフトされてきていますが、被災地ではまだ多くの人たちが不便な生活を強いられている現状があります。 がれきもだいぶ撤去されましたがまだまだ手つかずのところも多い状態です。私たちは日に日にライフラインが復旧し、食料も調達でき、燃料の不安も和らいで、一時的にその場をしのいだ感覚がありますが、今回の震災で亡くなられた多くの命、大切な人やものを失った方々がいる現実を忘れることなく、また普段当たり前に思っていた水、食べ物、燃料、他数々の便利なアイテム、仲間や家族、職場の大切さも忘れることなく、日々一生懸命汗をかきながら、誰かの役に立ちながら生きていくことが務めであると感じています。運よく呼吸をしているこの体を大事にしながら。。 穂波の郷クリニックの三浦先生らと医療チームを組み、震災後何度か南三陸町や気仙沼の避難所へ訪問し、診療の補助やアロママッサージなどをしています。まだガソリンが枯渇している状況の時でしたが、なりふり構わずに何ができるかわからないがとりあえず向かおうというその姿勢に感銘したのがきっかけでした。実際避難所に行くまではどう声をかけたらいいのか?的外れな言葉で悲しみを増幅させやしないか?中途半端な善意を不快に感じる方もいるのでは?など、車に乗り込んだはいいが正直なところ不安はありました。。 しかしいざ被災地につくと余計な邪念は消え、不調を訴える方を探しては先生に引き合わせ診療の補助をするという役割と、やったこともないアロママッサージをするという役割に没頭している自分がいました。避難所の方々も好意的に受け入れて下さり、わたしの素人アロマ、素人カウンセリングにも喜んで下さる方々。「涙を出し尽くしたらスッキリするね。」という覚悟を決めた笑顔のばあさん。気仙沼の大島では、欽ちゃんの番組に出演していた「気仙沼チャン」(私の世代でぎりぎりわかると思います)の民宿に行き、その津波の瞬間の恐怖、船乗りのおじいさんが津波にあえて向かい、船で乗り越えて一命をとりとめたこと、皆を避難させて津波を食い止めようとして水門を閉じ波にのまれた方のこと、島民のただ一人も私利私欲に走らず、平等に助け合う姿勢が感動的だったこと等、いろいろなお話が聞けました。被災地にすこしでも元気をと思いながら、実際はこちらが人間の強さに触れて元気をいただく結果となりました。カンボジアに行った時もそうでしたし、今回もそうでした。私たちは恵まれています。
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