震災復興メール
2011.04.18
上村珠子
皆様お疲れ様です。希望の杜の上村です。
1か月前は吹雪の日が続いて寒さも身に沁みたものですが、季節は確実に巡り桜が花開きました。暖かい日差しはそれだけでありがたいものですね。さてこの震災は数多くの人から多くのものを奪い去りましたが、残ったものや隠れていて見えなかったものの中に元気や勇気、そして希望を探すヒントがありそうです。そう思いながら今朝の新聞を開くと津波で甚大な被害を受けた石巻地区で被災を免れた石巻赤十字病院がこの1ヶ月で救急患者を1万人受け入れたという記事が目に飛び込んできました。震災後同級生たちの安否が心配だったのですが、やっとつながった電話に「大丈夫だよ~生きてるよ。病院はいっぱいで帰れないけどね。家は浸水してダメなんだわ~」との会話が蘇ってきました。記事からは普段の急患の受け入れは60人程度なのに今回は1万人の患者さんや地域の避難所を、全国から集まった約3000人の医師らが体面を捨ててという方針の下、一括管理して効率的に活動している様子が伝わってきました。先週金曜日津波の被災地名取市閖上地区を訪ねました。この欄で浅倉さんが書いていた津波で甚大な被害を受けた老人福祉施設です。彼女らとこの目で惨状を見てきました。案内してくれたのは共通の友人でこの地で16年施設の運営に力を注いできたSさん。その日彼女は外出していて難を逃れたものの多くの利用者さん、そして職員も犠牲者が出ました。建物が堅牢だったせいか津波で流されずに残ったものの一歩中に入ると、泥が積り破壊されて滅茶苦茶になった物が散乱した状態が目に飛び込んできました。事務室や食堂、居室は押し寄せたがれきで埋め尽くされ流されて、車がそのまま居室に立てかけた状態ではまってしまった目を疑う光景もありました。津波は施設の両方向から襲い1.7mまで浸水したそうです。事務室や廊下の白いクロスに泥水が上がった線がくっきり残ったままでした。私の眼の上の高さ・・分散して避難したものの平屋部分に残った何人かの利用者さんや職員たちは救助されるまでふた晩そのままで過ごしたそうです。その間命を絶やさぬため、おむつを懐に入れたり、ぼろ切れに食用油をつけて灯りにしたなど・・極限の中での職員の奮闘を聞きました。 1カ月前にあった出来事を頭に思い浮かべながら既にその場所では書類や重要なものを探すために、数人の職員さんたちが事務室があった場所の泥かきを行っていました。想像を超えた現実を前にしたSさんには、事実を伝えようとする意思とやるしかないという決心が見えました。施設を後にして車を5分も走らせると、津波があったことを忘れてしまいそうな風景が広がっていました。
時間の流れを少し止めて起こった出来事を整理してみることも前に進む手助けになるかもしれません。目の前に起こった“あの日”震災以前の営みは、どんな些細なことでもその人にとっては支えだったり心の拠りどころだったのだろうと今ごろ気がついています。ある新聞記者さんは“圧倒的な喪失感を前にしたとき、人は言葉も一緒に失うのだ、と初めて知った”と書いていました。この1カ月近く多分私もこの状態に近い心境ではなかったのかと振り返っています。勿論、希望の杜自体が壊滅したわけでもなく、建物の一部が使えなくなったことだけで、利用者さん職員共誰ひとり怪我もせず無事だったのは奇跡のような幸運といえます。しかし安堵すると同時に私たちに襲ってきた現実は、かけがえのない日常の作業の場が奪われた感覚でした。日常とは毎日決まった作業でもこの場所でこの人がこの時間にこんなことをして・・という些細なことの繰り返しで成り立っています。多くの利用者さん取り巻く家族の皆さんそして私たち職員がこのひとときを共有しながら、喜んだり悲しんだり怒ったり色々な感情をぶつけ合った場所は一体どこへ行ってしまったのだろう・・目の前に皆がいるのに・・居ながらにしていない感覚、それは錯覚に過ぎないと分かっていてもです。大勢が隣り合って布団で眠る日々が続くうちに出口を探す入所間もないKさんがつぶやく声はまさに自分たちを代弁してくれていました。「どう行ったら帰れるのっしゃ!」・・利用者さんも職員も共有した感覚だったかもしれません。フロアごとの区別もなくなり、目の前のやるべきことを皆がこなす中、その場その場の判断を求められる現場のリーダーたちを中心とした動きもそれでも少しつづ形になってきました。緊張と戸惑い、不安、疲労からの脱力と弛緩、焦り・・それでも今を乗り越えれば少しずつ・・そうして1カ月が過ぎました。何が大切なのか、今自分たちに出来ること、そして求められることを考えながら過ごしています。清山会の皆さん初め、数多くの方たちが希望の杜は大丈夫かと気遣い心配して下さり物心両面からサポートして下さいました。これにはただただ感謝するのみです。本当にありがとうございました。これからも前を向いて上を向いて!
最後にこの震災がなかったら多分一生なかった私の身の上にあった出来事。岡山に在住している友からの突然の電話。小学校から続いているペンフレンドです。半世紀に近い歳月を年賀状などのはがきや手紙でしかやりとりしていない電話でも話したことのない友なのでした。「私岡山の○○です。地震は大丈夫でしたか。津波にあったかどうか心配で調べたんよ。何か必要なものはないですか・・」私たち初めてお互いの声を聞きました。彼女の温かい声・・この震災があったからこそ大切なつながりに気づきました。