ナラティブRBA奨励賞
2022.12.312022年 ナラティブRBA賞受賞 杜の家いちい 名取 直保美 さん
「Mさんとの関わりで学んだ事」
Mさんと初めてお会いしたのは、いつもの年より暑くなり始めるのが早かった、6月の中頃、地域連携室の柴田さんと一緒にご自宅へ伺いました。
私たちを見たMさんは、疑いの表情で「どちらさん?何しに来たの?」と肩まで伸びた髪と髭といった風貌でジッと私たちを見つめます。
「地域の高齢の方のお宅を訪問していました」今思えば、納得のいくような、怪しいような訪問者ですが、
Mさんは「ああ、そう」と返答されながらも、まだ疑いの目を私たちに向けています。
「暑いですね、お身体大丈夫ですか?」「暑くなんかないよ!身体?熊本生まれだからな、丈夫なんだよ!」
と昭和のザ・お父さんといった雰囲気でした。庭や玄関先に物があふれ、室内も雑然とした様子なのはすぐに想像できました。
なんとかMさんの話を聞きたい、私たちを信用してもらいたいという意識満々の柴田さんと私。
今思えば、Mさんにとってはそんな事、どうでもよく、なんなんだコイツらと他人を寄せ付けない雰囲気をかもし出しながらも、話をして下さいました。
Mさんとお会いする前に、それまで関わっていた地域包括支援センターといずみの杜地域連携室とで、Mさんについて情報共有をしました。
情報を得た時点で、Mさんの生活の支障は盛り沢山あるけれど、私たちに求められているサービスが見えてこず、
今のMさんの生活の支障に寄り添える自信がありませんでした。その時、連携室の蝦名さんがおっしゃった事
「Mさんに人と関わって頂きたいと思うんです。それだけで、十分です」
Mさんは、熊本出身で、電気関連の会社の社長をされており、従業員を従えながら、東京タワーの仕事もしたんだと話されていました。
宮城県に家族を連れて住み始めてからも、社長として、技術者として仕事をされていましたが、結婚当初から、
カッとなると奥さんや子供達に強い言葉や手が出たり、物が投げられたりしたそうです。奥さんは子供達を身体を張って守り続け、
今は背中や腰が曲がった状態です。それでも、朝4時起きして、お仕事をされてから、夕方はMさんの元に行き、食事の準備、
掃除、Mさんのお世話をされ、アパートに帰るのは21時過ぎてしまうそうです。そう、Mさんと奥さんは別居状態です。
度重なるMさんの言動に堪えかねて別居を決意しました。でも、食事や身の回りの事も自分で行う事が難しくなったMさんを放っておく事もできず、
「本当はね、打たれたりすると怖いし、身体にもこたえるから、お父さんのとこには行くのはためらうけど、一人では何もできないでしょ。
だから私の仕事だと思って行くしかないよね。毎日疲れるし睡眠不足だし、お父さんはすぐにカッとして怒るしね。困ったね。」
と細い肩を落として話されていました。
地域包括支援センターといずみの杜地域連携室が初期集中支援として関わっている中、私たちの事業所にもお声がけ頂きました。
契約前でしたがMさんがどうしても気になり、何度かMさんのご自宅に伺いました。疑いの目も「何しに来た?」も変わらず、
怪しげな「地域の高齢の方のお宅を訪問しています」も変わらず、「何も困ってない!暑くなんてないよ。食事?いらないよ、大丈夫大丈夫!」
と話しされるMさん。でも髪はボサボサ、髭も伸び放題、いつ風呂に入ったのか分からない服装。
運良く自宅に入れて頂いた時に見た自宅内の様子は部屋いっぱいに物があふれ、エアコンも扇風機もついておらず、窓もカーテンも閉め切った室内。
台所にはおそらく奥さんが前の日に作っていかれたおかずがそのまま残っていました。
契約も済み、訪問で週5日伺うことになりました。訪問の目的は「Mさんと馴染みの関係性になって、奥さんの負担を減らす」事ですが、
毎日伺っても、検温もさせて頂けない、例のやり取りをして帰ってくる毎日でした。
とても、馴染みになり、奥さんが行っているMさんの生活のお手伝いなんてできる自信なんてありません。
それでも人と話をする事がお好きな様子のMさん、日本各地に仕事の知り合いがおり、昔きていた年賀状を見せて下さったり、
仕事の話をして下さったりと色んな表情を見せて下さるようになりました。それでも、デイサービスへのお誘いや、
自宅で入浴へのお手伝いなどは頑なにお断りされました。
Mさんのご自宅へ訪問開始してから3週間経った頃でしょうか、娘さんより電話があり、昨晩、また父が怒って、母の髪を引っ張ったみたいです。
母は恐怖ですぐに逃げてアパートに帰りました。今日はとても怖くて行けないみたいなんです、と相談がありました。
取り急ぎ、奥さんが毎日行っていた事は…食事と内服ですね。分かりました。今日から食事をお持ちします。とお伝えしました。
8月の猛暑真っ盛りの日、昼食を持って伺い、呼び鈴を押しても鳴らず、玄関を開けて「Mさーん、いますか?」返事なし。
「Mさーん、入りますよー」と居間に入ると、そこに横たわるMさん。一瞬、倒れてる?と思い「Mさん、Mさん」と揺すり起こすと
「ん?」と次第に目を覚ますMさん。あぁ、意識はある、良かった。「お昼持ってきましたよ」とお伝えすると「あぁ、すまんね」
とゆっくりと起き上がりました。冷えた麦茶を飲んで頂き、次第にいつもの表情のMさんに戻りました。扇風機をつけ、召し上がって下さいねと退室しました。
呼び鈴が鳴らなかったのは、Mさんがブレーカーを落としていたり、電源を抜く為でした。その影響か、冷蔵庫が壊れてしまい、
その中で食べ物が腐ってしまった為、室内は大変な臭いが充満していました。娘さんと片付けたり、エアコンが使えないかと点検しようとすると
Mさんは「勝手に色々動かすのはやめてくれ!」と怒ってしまいます。
別の日は、夕方伺うと「今から熊本に行ってくるから!」と嬉しそうに動かなくなった自家用車に荷物を積み込んでいました。
「えー!今からですか?」と驚くスタッフに「ここは長崎だから、すぐだよ」と工具箱や剪定ハサミの積込をしていました。
翌日伺った時には、前日までついていたテレビが歪んで壊れていました。どうしたの?Mさん、このテレビは…と絶句していると、
すぐに直せるよと全く気にしていない様子でした。
少しずつ、家族以外の人の手助けも受け入れてくださるようになったMさん。奥さんに対する言動が穏やかになれば、
また奥さんとも関係性が良くなるのではないかと思いながらも、再び急に怒り出してしまうのではないかという不安もありました。
また、しばらくいずみの杜診療所へ受診に行く事ができていなかったので、受診に行き、一緒に相談しようという事になりました。
しかし、Mさんは大の病院嫌い。数日前から受診のお誘いをするも、「医者なんか大っ嫌いだ!昔は現場で俺が倒れた奴の頭に穴あけて、
悪い血を全部流して生き返った事もあったんだ!医者は何もしてくれないから、行かないよ」と本当の事か、空想の話か…こりゃ難しいかなぁ…と迎えた当日、
昼食配達に伺うと「今から熊本に行くんだ!」と嬉しそうにしていました。これはチャンス!ズルい方法だけど、
便乗して「私も一緒に熊本に行きたいです!」と言うと「遠いよ。今日中に帰れないかもしれない」とあくまでも一人で行くと主張するMさん。
まずは、昼食召し上がっていて下さい、一旦戻って準備してきますね、と退室し、受診時間に合わせてまた伺いました。
Mさんは、庭や家の中を私を探してくれていました。さあ!行きましょう!と車に案内し、無事に出発。
診療所に近づくと「ここは、ほら、病院の近くだな」ドキーっとしました。熊本へ行くと言って、車に乗って頂いたのに、
診療所へ向かっているのがバレたかも…でもMさんはそのまま「ここの角を曲がったところだよな。ああ、ここは前に来た事があるよ」と教えて下さいました。
診療所に入ると、先に待っていた奥さんと離れた場所に座られてましたが、しばらくして奥さんの存在に気づかれ、隣に座りました。
しばらくぶりに会う奥さんに「どうした?具合悪いのか?」と気遣う様子もありました。待ち時間が長くなると「どこも悪い所ないから帰ろう。
医者となんか話す事ない」とイライラしていた所に呼ばれ診察室の中に入りました。松田先生から「Mさん、体調どう?何か困ってる事はないかい?」
と尋ねられ、「何も困ってないですよ、大丈夫」と答えられました。
最近の状況を松田先生にお伝えし、先生からMさんに何点か質問があった後「Mさんあんたな、奥さんに手上げたらあかんよ。
奥さんに手上げたの覚えてるか?」「いや、覚えてないね」「そうか。Mさんな、認知症なんよ。色んなことが覚えてられん病気でな。
それでも楽しく毎日暮らせるよう、色んな人の手借りて、生活せんといかんな」その言葉を真剣に聞いているMさん。
松田先生はMさんの脳の画像を示しながら
「ここな、この右側に脳梗塞の跡があるやろ?ここが感情のコントロールができなくなるんよ。」「先生、えらいデカイなこれ」
「せやな、デカイな。でもな、Mさん、左の脳は元気やからな、現実とそうでない事とぎょうさん考えるから、話が上手いんやな。」
そうか!Mさんがカッとなって怒り出す事や、現実とはかけ離れた話をするのは、そういう事なんだ!とストンと腑に落ちました。
Mさんもご自身の脳画像を食い入るように見て、松田先生の話を聞いていました。
「Mさん、カーッとなって、手上げたらあかんよ。ここにいる人達の手を借りて、楽しく生活してな!」と松田先生と握手して帰りました。
しばらくはMさん宅への訪問を重ねながら関係性を作っていきました。デイサービスにお誘いはするも
「いや、そんな場所はいかないよ」と頑なにお断りされます。
「毎日一人で生活していて寂しくないですか?」「仕事もあるし、家族もいるから、忙しくて!」「そうなんですね…」
Mさんの3回目のワクチン接種後、ちょっと寄ってみませんか?とデイサービスに寄って頂きました。
その日は1時間程デイサービスで過ごされました。
数日後、再びデイサービスにお誘いすると「行くよ!」と力強い言葉。誘ったこちらが、えっ?とびっくりするほどでした。
デイサービスの玄関から入ると「Mが来ましたー!」とサービス精神旺盛で皆さんを楽しませて下さいます。
それから定期的にデイサービスへ来られる事が増えてきました。日によって、午後になると「家族が心配だから」「仕事が心配なんだ」
と自宅に帰りたくなります。送って行き、自宅の様子をみると安心されたのか「で?何だっけ?」と再びデイサービスに来られる事もありました。
あんなに嫌がっていた床屋にも応じて下さり、さっぱりしたヘヤースタイルに皆さんから「かっこいい!」「若くなったよ」と褒められ、照れるMさん。
帰りの送迎車では、他利用者さんに「お母さん、トンネルに入るから、少し暗くなるよ。大丈夫、俺がついてるから」と声をかけて下さったり、
Mさんを自宅に下ろし、サヨナラすると、送迎車が見えなくなるまで手を振って下さるMさんの姿があります。
短い期間で、こんなにも急激に変化を見せてくれたMさん。
Mさんが変わったのか?
先日、町内会の方々とお話しする機会がありました。Mさんは10年ほど前に町内会副会長を務められ、
当時一緒に役員をされていた方がお話し下さいました。
「Mさんはね、犬や猫、アヒルも飼っていて、私も犬を飼っていたから、お互い、ペットの話なんかもしてたんだ。
動物が好きな人だから、きっと人も好きなんだよね。」
Mさんと関わる前に連携室の蝦名さんがおっしゃっていた「Mさんに人と関わってほしい」というワードが蘇ってきました。
Mさんが変わったのではなく、私たちが本当のMさんの姿をようやく理解できたんだ、と気付きました。
始めは私たち支援者を寄せつけないMさん、でも本当は人と接する事が好きで、困っている人がいると放っておけない方。
感謝の気持ちを全身で表してくれる、人情味溢れたMさん。デイサービスには来れないだろうという、勝手な偏見でMさんから、
人と関わる権利を奪っていたように思いました。動き出すきっかけは何でもよく、事業所スタッフの粘り強さや、
Mさんの不安や心配に寄り添うスタッフの姿に、私たちの事業所の役割を学びました。支援を必要とする方に、介助する事だけが私たちの仕事ではない、
「人と関わる事」が根本にある事をMさんを通じて学びました。
今はまだ、元のように、奥さんがMさんに会う事ができていません。Mさんはどうしたいのか?奥さんはどうしたいのか?
私たちの決めつけではなく、ご本人たちの気持ちを伺いながら、また新たな関係性が始まるよう、これからもMさんと関わり続けていこうと思います。