ナラティブRBA奨励賞
2021.12.312021年 ナラティブRBA賞受賞 グループホームはごうの杜 名取 直保美 さん
さぁ、月末の事務仕事始めようかなぁと、机に向かおうとした朝、電話が鳴りました。こんな早くにどなたでしょう?と受けると、Tさんの娘さんからでした。
「すみません、早くに。実は父が昨夜亡くなりまして…」「え⁈Tさんのご主人さんですか⁈」突然の話に驚きながら、亡くなった経緯を伺いました。
「そこで、相談なんですが、母には伝えた方がいいでしょうか…」
Tさんは、2月に入所されました。それまでは、デイケアに通いながら、ご主人さん、息子さんと生活されていました。
あまりご自身から話をする事はない方で、伝えたい言葉が上手く出てこず、昔の事を伺っても「知らないよ」、お風呂にお誘いしても「行かないよ」、
お薬飲みましょうかね「いらないよ」、いつも一人で外のベンチに座ったり、玄関前の花を摘んできたり、マイペースで過ごされるのを好む方です。
可笑しい事が大好きなようで、私がヘンテコな事をすると、ゲラゲラと笑ってくれます。
その笑い声が聞きたくて、またふざけて、調子に乗ってやりすぎると、最後は「知らないよ」と外に行ってしまいます。
娘さんからの相談に、悩みつつも、Tさんなら、どう思うだろう…と考えました。
50年近く連れ添ったご主人さん、約半年前までは一緒に過ごされていたご主人さんと最後にちゃんとお別れしたいと思うのではないかと想像し、娘さんにお話ししました。
今はレベル3の状況、葬儀に参列するどころか、ご主人さんに会えるかも分からない状況、娘さんの意向を伺いながら、上長に確認を取りました。
人が混んでいない中、マスクをして頂き、短時間なら会いに行っても大丈夫と許可を頂きました。
さて、どのタイミングで何てTさんに伝えようか…葬儀の準備などで忙しい娘さんに変わって、Tさんにお伝えするタイミングや伝え方、色々考えながら伺っていました。
いつもなら、ふらっと外のベンチに行かれるので、そのタイミングを見計らっていましたが、その日に限って、自席から動かないTさん。
お昼を過ぎてから、外のベンチでひと時を過ごし、ソファーに座ったタイミングで近づきました。
「Tさん、お父さん、旦那さんの事、覚えてますか?」「知らないよ」いつもの答え。
今だと覚悟を決め、「今朝ね、娘さんから電話あって、昨夜、お父さんが倒れて、病院に行ったんだけど、亡くなっちゃったって・・・」
とたんに、Tさんは信じられないといった表情で目を見開き、しだいに顔が崩れていき、泣き出しました。
だよね、突然そんな事、言われても、どう理解したらいいか分からないよね。
私はTさんの背中をさすりながら「ごめんね、突然の話で。どうしたらいいのか分からないですよね。」と声をかける事しかできずにいました。
少し落ち着いてから、「Tさん、最後にお父さんに会いにいきませんか?」と伺うと、しばらく考えてから小さく頷かれました。
葬儀場に到着し、部屋に通されました。迎えて下さった娘さんが「お母さん、来てくれたのね、こっちにお父さん、眠ってるよ」と
Tさんをご主人さんのところまで連れて行って下さいました。再び、Tさんの顔が涙で崩れ、何も言わずに泣くばかりでした。
泣き止むと、どうしたらいいのか分からない様子で、その場を離れてしまいました。
「Tさん、もういいの?お父さんの顔、見て帰りませんか?」と再度Tさんをご主人さんの側にお誘いしました。
「お疲れ様って、お顔撫でてあげたら?」とお伝えすると、何も言わず、くるくるとご主人さんの顔を撫でてまた涙。
Tさんは撫で終えると、ご主人さんの側を離れました。
「行こう、帰ろう」と出口を探す様子があったので、娘さんに挨拶してホームに戻りました。
戻ってからも、寂しそうな表情で、ソファーに一人座っていらっしゃいました。何も言わず、誰とも話さず。
夕飯が終わる頃、私は帰宅準備をして、お一人お一人に挨拶をしました。いつもならTさんとは、ふざけてお互い変顔をして笑ってさよならするのが、
今日ばかりはTさんの顔を見る事ができず、後ろから肩をトントンして、「また明日来ますね」と声をかけると「ありがとうね」と
Tさんからいつもおっしゃらない言葉が出ました。今まで味わった事がない、切なく寂しく温かい「ありがとうね」でした。
しばらくの間は、沈んだ表情のTさん。一週間程たち、笑い顔が少し見られるようになった時、娘さんが、お父さんの遺影をお持ちになりました。
預かった職員は、Tさんにお渡しするタイミングを見ながら、部屋に行かれた時にお渡ししました。
昭和の父らしく、口を真一文字に結んだ顔。Tさんは受け取ると、一度は納得されて、部屋に飾りましたが、その夜には伏せてありました。
その後、また立てかけられていたり、カバンに仕舞われていたり、ホールに持ってきて、私に向かって「ダメだね」とつぶやいたり、何故か職員の下駄箱に入っていたり・・・。
Tさんはご主人さんとの最後の時間をどう感じたのだろうか…ご主人さんの写真を見て、今はどう思っているのだろうか・・・。
伺っても、たぶん「知らないよ」とおっしゃるかもしれません。
ご主人さんの亡骸に会っても、少しすると離れて帰りたそうにしていたり、遺影を伏せたり、職員の下駄箱に入れていたり。
また、ある夜は一人部屋で、ご主人さんの写真、フォトフレーム全てバラバラにし、「眠れないんだ」。
Tさんはご主人さんが亡くなった現実をまだ受け入れられない気持ちがあるのかもしれません。
Tさんと毎日一緒にいる私たちは、Tさんの悲しみを察する事はできても、分かち合う事はできない事を思い知らされました。
ホームで入居されている方が旅立たれる時は、家族と一緒にスタッフ同士も悲しみを分かち合う事が出来、時間の流れと共に、少しずつ前に踏み出せる力が生まれます。
しかし、入居されている方の家族の死は、私たちはその方の気持ちは慮れても、その悲しみを一緒に分ける事ができるのは、
それまでの長い生活の中で時間を共に暮らしてきた家族なんだと実感しました。
コロナはその悲しみを分かち合う事すら、私たちの生活から簡単に奪ってしまいました。仕方ないのは充分承知しています。命を守る為の対策。
でも、いくらzoomで顔が合わせられても、喜び、悲しみはお互い、温もりを感じてこその分かち合いだと、痛いほど知らされました。現場でしか感じられない痛みでした。
心が震えたTさんの「ありがとうね」をずっと想いながら、いずれ訪れるであろう、
目の前の方との別れのその時まで、時間を大切にしていこうと教えて頂きました。
そして、先の長い、見えないコロナウィルスと共存しながら、目の前の方の家族の喜び(ひ孫が産まれたけど、抱く事が許されないイマ)、
悲しみ(長年苦楽を共にしてきた家族が亡くなって、家族と一緒に弔う事が許されないイマ)を権理と謳う私たちが出来る事は何か?
リスクを回避する、命を守る、権理を取り戻す。命が守れなければ、権理を取り戻せない。
その為には命を脅かすリスクは回避しなければならない。
コロナ感染が発生した現場の壮絶さも、頭では分かっているものの、それでも私は目の前の人のイマも大切にしたい。
考えて、訴えて、もがいていくしかないけれども。
今日もTさんはいつもの指定席、外のベンチに座っています。
誰と話す訳でもなく、職員に話しかけられても「知らないよ」。