震災復興メール
2011.06.28
加藤千春
すっかり梅雨に入りちょっと気分がどんよりしている私であります。
あれから3ヶ月がすぎ一時クライマーズ・ハイのような感覚になっていた時もありましたが、次男と東部道路を通るたびに「あのおふねはまだ海に帰れなくて、かわいそうだね」と車窓ごしにつぶやくのを見ていろいろな思いがよみがえります。
6月に入所したIさん。岩沼市にあった病院に入院中被災しました。さくらの杜に入所が決まり家族へ連絡「私も付き添わなくては行けないかしら?」と娘さん。Iさんは昨年の夏にその病院に入院したようです。病名は精神興奮状態との事。入院前からも娘さんといろいろトラブルが会ったようで、家族関係はIさんにとって一人娘であるEさんのみ。さくらの杜に入所した日避難していたS特養へ迎えにいくと玄関先で「どこにも行かない!あっちこっち回されて!なんなの!!」と興奮し泣いたり叫んでいるIさん。そうだよね。知らない間に避難所を転々とされその間病院で沢山飲んでいた薬もこの地震のおかげで飲まなくなり自分の気持ちとは裏腹に環境が目まぐるしく変わりそのたびに新たな人間関係を築きなれた頃に場所異動。 86歳になってこんなに大変な思いするとは思わなかったよね。さくらの杜に来てからも「メガネぬすまれた~」「郵便局に連れてってちょうだい。300万円心配なの。お金は行ったらあんたにやるから」「娘が通帳返してくれないの電話してちょうだい」と事務所へきて涙ながらに訴えに来ています。先日も興奮して色々な話を聞かせてくれました。『家に行きたい。』Iさんが長年暮らした家。思い出の物がある家。
娘さんへ電話し「山元町の家に連れて行きたいのですが」と話すと「もう何もないんだから。行っても分からないでしょ。」と冷たい返事。「ちょっとドライブしてきますので」と話すしOKを頂く。雨の降るなか山元町へ。「坂本駅の線路沿いをまっすぐ行って・・あ~どこの家もないんだね。波来たんでね。」と遠い記憶と変わり果てた町並みを見るIさん。自宅があったであろう道を行ったり来たりしながら、近所に住んでいた人の話をしてくれたり、また通帳のことが気になったり。Iさんにとってこの1年は激動の年だったに違いありません。困惑しているIさんの話を聴くことしかできない自分。今自分にできることは何だろう。実は困惑しているのは私自身なのかも知れません。なんとなく感性が鈍ったような感覚になっている私ではありますが、今しかやれないこと自分がやるべきことがむしゃらに生きたいです。この震災を期にたくさんの人と関わりがもてその人とどう関われるか、これからを共に生きること、その人の言葉や環境を大切にしながら楽しみたいですね。Iさん何度でも故郷へ行こう!!
追記:良く生きることの意味を先日104歳でなくなられた利用者さんそして家族からあたたかい言葉を頂き(りらく7月号のP73にも少し書いてあります)自分も出会いを大切に繋がりを大切に、良く生きたいと感じるられるようになりました。日々感謝感謝です。